「黒歴史」
それは誰しも抱える、人に知られたくない自身の恥ずかしい過去。
それは若さゆえの過ちか、無知ゆえの無謀か。
いずれしにも
「過去に戻れるようなら、当時の自分の頭をひっぱたきたい」
と強く思うのは、黒歴史の共通するところでしょう。
黒歴史は、誰しも新規作成したくも更新したくもなく。人生、万時、順風満帆に進みたいものです。
・・・しかしでございます。私は強く思うのです。
「黒歴史をもっと作るべきだ」
と。
これは年末の多忙な業務により頭の歯車が崩壊したからではなく、正直、今年一年ずっと思い続けたものです。ようやくカミングアウトできました。
「黒歴史製造マシーン」
この言葉は、もしかしたら私のためにこの世に存在する言葉かもしれません。
イチローが安打を作り続けたように、私は黒歴史を作り続けました。
そして今年もさまざまな黒歴史を量産した中で、改めて私は黒歴史を愛し、黒歴史を抱きしめながら、今後の事業、いえ、人生そのものを進めていく決心をした次第でございます。
「なぜ黒歴史を?」
「黒歴史など、失敗の代名詞。」
「黒歴史など塗りたくる前に、成功事業を作りたまえ」
と思われるのは、至極まっとうなこと。
ですが、ほんの少しだけご説明させてください。黒歴史の大切さについて。
Contents
黒歴史は「勇敢な挑戦」と共にある。
「黒歴史を愛していく」
そう私が確信しているのは、「黒歴史は挑戦と裏表の関係」にあるからです。
だってそうではないですか?
黒歴史とは、挑戦したあとに生まれます。挑戦しなければ、黒歴史は生まれません。
しかも挑戦が無謀なものであるほど、強烈な黒歴史として、自分史に深く刻まれるもの・・・ではないですか?
だから私は愛したいのです。
黒歴史と、その背後にあった勇敢な挑戦を。
その当時の最高のパフォーマンスを出し切っている。
さらに黒歴史の愛すべきポイントとして、その当時はまったく黒歴史だなんて思ってもないことです。
むしろ、当時の自分の実力の200%を使い切り、最高のパフォーマンスを出し切り、最高の結果を出してやろう・・・と、全力になっていたりしませんか?
結果としてうまくいかず、黒歴史として自分史に刻まれてしまうのですが、私はこのプロセスこそ非常に評価すべきだと思っております。
なぜなら結果的にうまくいかなかったものの、常にベストを尽くす姿勢だからです。
「失敗するかも」の予測が脳裏にあったとしても、今自分でできる行動を全力で実行しているからでございます。
青春時代に黒歴史を作りやすいのは、若さゆえの視野の狭さ・・・なのか、
「これだ!」
と思ったことに対して、全力で突っ走ってしまい、大人になったときに「なぜ当時の俺はあんな恥ずかしいことを?」と後悔しがち・・・なのかもしれません。
たしかにティーンの頃の黒歴史は、黒歴史の中でも断トツに恥ずかしいエピソードがあったりします。
しかしそれは「それだけ熱中していた」の裏返しであり、結果的にうまくいかなかっただけ。
結果だけ見れば黒歴史ですが、私は「熱中する」というプロセスに非常に魅力を感じてしまうのです。
黒歴史が少なかった会社員時代。
「黒歴史は勇敢なチャレンジの証」
「黒歴史は熱中した裏返し」
そう考えると、自身の黒歴史がほんの少しだけ誇らしく思えたりしませんか?
しかしでございます。
ここまで黒歴史を賞賛しておいてアレですが、私は会社員になると同時に、黒歴史がどんどん少なくなっていった過去があります。
本気になれていなかった、かっこ悪い自分。
社会人、それも新卒の頃はさすがに黒歴史を量産しました。
しかし社会人2~3年にもなると、よくいえば「落ち着いた」、悪くいえば「そこそこの行動」を覚えてしまいました。
その結果、私の会社員人生のある時期から、黒歴史はぱたりと姿を消します。
変わりに生まれたのが、着実に実績を積み重ねる仕事ぶり。
「着実に実績を積み重ねる」こと自体が悪い訳ではありません。
悪いのは、私が仕事に対して本気になれていなかったからです。
「環境が悪かった」
と他責を言い出したらキリがありませんし、そもそも本気になれば環境すら変える力があるはず・・・ですよね。
ですので、その意味でも私は現状に甘んじ、本気になれず、ベターな毎日を過ごしていた気がしております。
1年前と3年前で、大きく変わらない。
当時の状況をよくあらわしたエピソードだと思うのが、こちらでございます。
「1年前の自分と、3年前の自分であまり変わってない。」
社会人になると、決まった組織の中で、決まった仕事をする。その結果、去年の風景も3年前の風景もあまり変わってない。
これは私に限らず、もしかしたら社会人あるあるかもしれませんね。
若さ溢れる時期をこえると、さまざまな経験から結果を予測し、ベターで無難な選択肢を選びがちです。
ベターで無難な選択肢は失敗こそ少ないものの、現状を変える力も少なく。
会社員時代の自分を振り返ると、1年前も3年前もあまり変わらず。
黒歴史が劇的に減った一方で、ひっそりと「挑戦した数」「全力になった数」も減っていたと記憶しております。
3か月前は黒歴史。挑戦のペースを早く。
会社員時代に挑戦が少なかった私。
このエピソードは会社員と独立の対立論ではなく、ただ単に当時の私が会社員という組織の力に甘んじて、全力になって努力することを怠っていた。
ただそれだけの話でございます。
働き方に関係なく、挑戦し続けている人は挑戦し続けています。
私が特に大切だと感じるのは、挑戦する頻度です。
息を吸って吐くように挑戦する。それが当たり前になるのがベストだと感じます。
3か月前を振り返ったとき、黒歴史が広がっているか?
社会人になると、つい忘れがちになってしまう挑戦。
そのセルフチェックとして目安としているのが、3か月前の自分です。
3か月前の自分を思い返したとき、
「恥ずかしい」
「なぜそんなことを平気で?!?!」
「過去の自分の頭をひっぱたきたい」
と思えたら、それは今、あなたがチャレンジし続けている証。
なぜなら黒歴史は挑戦のうしろにしかできないからです。
3か月前を振り返って黒歴史が広がっている場合、それは3か月の短い間に果敢に挑戦し、そして自身が成長した証でございます。
逆に3か月前を振り返ったとき、今と同じような作業を繰り返し、同じ風景が広がっている場合。
それはもしかしたら、あたしい挑戦が足りてないのかもしれません。
私自身、3か月前を思い起こすと、本当にひどいものでした。
「人を増やせば、作業量が増えるので、比例して売上も増える!」
今でこそ、この考えの至らない点、そして改善点を実行プランベースにご説明できるまで理解しましたが、当日の私にはできず、ただ闇中を手探りでさまよい続けるだけでした。
当時を振りかえると、
「お前、よくそんなことできたよな!?」
と恥じる行動ばかりしてきましたが、しかしそれは私が常に全力で挑戦してきた裏返しだと思っています。
逆に3か月前を振り返ったとき、
「あれ?今とあまり変わってないぞ・・・?」
と思ったら、私の挑戦成分が足りてない証拠ですので、それこそ過去の自分を盛大にドつかなくてはいけません。
黒歴史を愛する。挑戦する人を応援する。
2021年を振り返ったとき、
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・採用計画とは?
・組織とは?
・フルリモートで強い組織を作るには?
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この哲学的な問いに答えるため、もがき続けた1年だったが気がします。
打ち続けた施策は、今となってはどれも黒歴史です。
「もっとうまいやり方があるだろ」
と自分で思えるのは、成長した証拠だと思います。
一方で挑戦し続ける人に対し、同様に「もっとうまいやり方があるだろ」と思うのは、私はあまり好きな方ではありません。
なぜなら実行者ではなく、評論家になっているからです。
口を出すだけなら誰でもリスクなしにできます。
しかし実際にその現場に身を置き、手を突っ込み、失敗したときは実害を被る環境でチャレンジするのは、本当に頭の下がる行動だと思います。
ですので、私は黒歴史を賞賛したいのです。これからも愛していきたいと思うのです。
それは黒歴史とは、勇敢なチャレンジの背後に生まれるものだから。黒歴史を語れるのは、その当時、誰よりも熱中した人だけだからです。
私は黒歴史を笑いませんし、失敗も責めません。
本当に危惧すべきは、挑戦を忘れた環境に身をおいて見せかけの安定に寄りかかっていること。
2021年、たくさんの黒歴史を作ってきました。
1年振り返ってそう思えることで、1つ私は安心しました。
そして2022年。私はさらに黒歴史にチャレンジしたいと思いますし、社長という立場ですので、黒歴史を賞賛していきたいと思っています。
「こいつの会社は黒歴史が賞賛されるらしい」
そう言われるとヤバい会社かな・・・と感じますが、この判断軸はブラさずにいきたいと思っております。
みなさま、今年も黒歴史、作りましたか?
来年もよき1年になるよう、勇敢に挑戦していきましょう!
▽余談ですが、過去の私の記事の内容も黒歴史そのものですよね。
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