こんにちは。営業代行の河合です。
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「8割の会社は、設立して3年で潰れるらしい」
「お前、大丈夫なの?」
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衝撃だったのは、すぐそばでこのセリフを聞いた、妻が大泣きしたこと。
今まで不安だった気持ちをずっと抑えていたのに、悪気はないけどぐっさりと傷つける言葉に、妻の感情のダムが崩壊しました。
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「去年独立したんですか?私、今年独立したんですよ!」
「え・・・はぁ・・・(以後無視)」
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本当に心細かった。頼れる人が欲しかった。独立してから、ずっと思ってました。
ですが、この一件依頼、私は諦めました。といいますか、覚悟しました。
自分の選んだ道は、こういう道なんだなと。
目をつぶると、3年前のドラマがフラッシュバックされます。
幸いにしてメンタルタフガイとしてご両親に産んで頂きましたので、悪夢としてうなされることはありません。常に安眠です。
しかし、しかしでございます。
(その悪夢のような日々から)、どうやら弊社は丸3年が経過したようです。
おおおお
おおおおお
ぬおおおおおおおっ
はっきり申し上げて、うれしいです。
ありがとうございます。非常にうれしいです。
経営スキルゼロ・知識ゼロ、ただ会社を辞めただけの男が3年間生き残ったこと、非常にうれしく思います。
私は回り道が得意で、この3年間、とても長い回り道をしました。
しかしそのどの回り道でも素敵な方々と出会い、一緒に仕事をできたこと。これが一番の財産です。
そして今、コロナショックの渦中ですが、「この人がいれば、再起は手堅い」と思える組織になりました。
私は諦めません。
明日も明後日も、愚直に進みます。
本来であれば、今日、今の時間も未来への投資をすべきところ。
ですが会社設立して丸3年の今日、1つの節目としてこれまでを少し思い出しておこうと思います。
「きっと明日からの3年間は、今までの3年間とはちがうものになる。」
得意の「直感」がそう申しているからです。
本日だけは私の思い出話、どうぞお付き合いくださいませ。
Contents
会社設立前夜|私は社長ではなかった。
「私、じつは社長じゃないんです・・・」
「・・・!?!?!?」
会社設立時、お会いした税理士さんが困惑した表情、今でもよく覚えております。
そうでした、私は創業社長ではありませんでした。正確にいうと、「2代目社長」。初代社長は、妻でした。
なぜそんな奇天烈な社歴があるのかと申しますと、弊社は私のブログ副業の節税を主たる目的として設立されたからです。
「節税」といっても年間ウン百万と稼いでいるわけではなく、たかが「申告が必要になる金額」程度です。
それっぽっちの金額であれば、通常の思考回路で考えれば、青色申告をして終了です。
しかし、何をトチ狂った私は、
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「どうせ税金払うなら、会社設立した方が節税になるんじゃない?」
「長い目で見れば、きっとそうにちがいない」
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と、まったく根拠のない独自理論で会社設立に踏み切りました。
もちろん、この程度の金額で節税になるはずもなく、法人として納税したことで税額は増えた気がします。
当時、私は会社員。
ですので、私が河合商事の社長になれば、本業でややこしいことになります。
そのため妻になって頂きました。
「河合商事合同会社 代表 妻」
いや、もう、ごめんなさい。
勝手に社長にしてごめんなさい。
もちろん()、妻からはたくさんお叱りのお言葉を頂きました。そして、たくさん反省しました。
もう人生において、勝手に社長にたてまつることはしません。ごめんなさい。
A4一枚で設立できると思ってた → 実際は書類のオンパレードだった。
「どうせ税金払うなら、会社を設立した方がいいでしょ」
と安直に考えたのは、「会社の設立なんて、書類1枚出せば完了でしょ?」と超ポジティブな発想ができた私の無知があったから。
しかし当然ながら実際にはそんなことはなく、会社設立のためには提出書類のオンパレードでした。
とくに苦戦したのは、「定款」です。
定款とははじめて聞いた言葉でしたが、どうやら会社内での法律のような決め事のようです。
社内の決め事を書かなくてはいけないのですが、いかんせん、当時の弊社には実態はおろか、そもそも妻が社長なわけでして。
ネットで「定款のフリー素材」のようなものを見つけ、ほぼコピペ状態で提出した思い出もあります。
法務局の担当者は非常に親切で、私のような身の程知らずにも丁寧に対応してくださいました。
赤ペンで修正した部分を提出を繰り返し、晴れて3年前の4/21、河合商事は誕生しました。
しかし欲をいいますと、本当は4/25設立をもくろんでました。(4/25は私の誕生日)
ですがあまりの書類の煩雑さゆえ、
「日本国に設立を認めて頂けるなら、いつでも結構です!」
となり、本日4/21が設立記念日になった次第。
このエピソードは弊社が世界的企業になったとき、どなたか盛大に語って頂ければと思います。
前職の退職|営業代行の「河合商事」の誕生。
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「なんとか、残ってくれねぇか?」
「それでしたら、営業代行として、やらせて頂けませんか?」
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3年前、前職の敬愛する先代社長に呼ばれたホテルの最上階。
そこでの出来事は、今でもはじまりから終わりまでよく覚えております。
営業代行の河合商事が生まれた瞬間です。
会社員を続ける予定でしたが、前職の社長が変わり、私はドロップアウト。
そのとき、先代社長に引き止めて頂きました。
しかも私の「営業代行として残らせて欲しい」という、オッパッピーな要求すら呑んでくれる器の大きさ。本当に尊敬します。
会社設立当時、弊社の事業内容は「ブログ」でした。
しかしこの瞬間から、メイン事業は「営業代行」になりました。
とはいえ、実態は会社員と同じです。
いうなれば、「社員がフリーランスに転向し、そのまま居座った」、というのが適切かもしれません。
「会社を設立した」
とはいうものの、内容は決して胸を張れるものではなく、むしろ「お前、このまま放りだしたら野垂れ死ぬよな笑?」という冷笑ムードの中、依然と同じ業務を「下請け企業」としてこなしておりました。
この暗黒期、期間にしておよそ2年。
今でこそ言えますが、はっきり申し上げて辛かったです。金銭的には安定してましたが、精神的にとてもつらかったです。
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途中から職場で無視されました。
会話がなくなりました。
空気のような存在になりました。
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めちゃくちゃ辛かったですが、幸いにして営業以外のメンバーからは普通に接して頂けたことで、かろうじて私は人間としての生活を保てました。
「なぜそんな環境に2年間も?」
というご質問に対しては、それは先代社長への恩義とお考えください。
どんな形であろうとも、受けた恩は返さなくては義理が立ちません。義理を忘れたら、この世界では生きていけません。
なにより、私は先代社長の恩義に報いたかった、それだけです。
その結果、2年間も営業代行としてお世話になる形になりましたが、果たして私の義理は伝わったのか。
最後のお別れは悲しい形になってしまったのが、残念なところ。
今できることがあるならば、しっかりと胸を張って生きることだと感じます。
どんな環境でも、胸を張って生き続けます。
危機感を募らせて営業してみるも、まったく売れず → テレアポ代行へ。
下請け企業として過ごす2年間、私はその環境に甘んじていたわけではありません。
果敢に挑戦し、そして盛大に失敗しておりました。
その代表が、「営業代行の営業にチャレンジ」でございます。
これは当時、「取引企業が1社のみ」という危機的状況を脱するべく計画されたプロジェクトです。
しかし困ったことに、私には営業代行のノウハウがありません。
そこで私は、営業代行の超大手「セレブレックス」様のWEBサイトを拝見し、そしてオマージュさせて頂きました。
サイト内に書かれている、かっこいい横文字
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「リードセールスアウトソーシング」
「コアセールスアウトソーシング」
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などをピックアップ。エクセル資料にまとめ、PDF化しました。
「地域密着の営業代行!」
当時の恥ずかしすぎるキャッチフレーズが書かれた資料(といってもA4のペラ1枚)を片手に、地元企業を飛び込み営業していきます。
100件は訪問したでしょうか。
まともに対応をして頂いたのは1件のみ。あとはすべて「?」で終了です。
よくよく考えてみれば、私が住んでいる栃木県にあるのは、大手企業の営業所ばかり。
また地元企業は独自の営業ルートがあり、簡単に新規参入できない状況です。
「地方で営業代行とか、無理ゲ―じゃね?」
絶望しました。
自分の愚かさと、今後の将来について。なぜ私は営業代行のノウハウもないくせに、なぜ会社を辞め、そして下請け企業として生き延びているのかと。
「お前はもう詰んでいる・・・」
このとき、ケンシロウにそう言ってもらえたなら、いっそのこと楽だったはず。
しかし諦めの悪い私は、鋼のメンタルで夜は安眠しつつも、眠りにつく前のわずかな時間で考えました。
「そうだ、テレアポ代行をしましょう。」
「テレアポ代行なら、栃木にいながら全国の企業に営業可能だ」
これは名案だと思いました。
すぐさま知り合いつてに連絡してみたところ、思いのほかウケました。
ニッチすぎる業界では、商材理解が低く、アポ率が異常に低いとのこと。
「これはイケるかもしれない」
そう思い、当時のブログ経由でテレアポ代行をはじめた告知をしたところ、すぐに何社からご依頼を頂くことに。
このご縁も相当に奇跡。
あのとき、あのタイミングでお仕事を頂けなかったら、テレアポ代行の河合商事は生まれなかったでしょう。
かくして、私の戦略的テレアポ代行は、スマホ1台からはじまりました。
アフィリエイトショックで売上1/5へ。
「テレアポ代行、はじめました!」
とはいうものの、売上的にはテレアポはごく一部。
弊社の売上の大部分は、WEB広告の一種、「アフィリエイト収益」でした。
アフィリエイトとは、WEBサイトの広告から商品が申し込まれると、それに応じた報酬が支払われる仕組みのこと。
アフィリエイトの魅力は、手離れの良さと収益性。
一度サイトを制作すれば、あとは放置してでも収益が発生します。
しかもサイトは自作できるので、人件費がかかりません。純度100%の売上、ですね。
なので、正直申しますと、この時期の私は油断しておりました。
今後、多少のトラブルはあっても、アフィリエイト収入が激減することはないだろうと。
・・・そう、2019年3月までは・・・。
売上1/5に。毎月赤字を垂れ流す日々。
2019年3月、事件は起こりました。
グーグルの検索アルゴリズムのアップデートにより、弊社のサイトが無事にお亡くなりになったのです。
その日を境に、売上はキレイに1/5になりました。
はい。
もう。
オワタ
頭が真っ白になりました。
その日、私は妻の実家に帰省中。
「たかし君は、独立して本当に頑張ってるねぇ」
など、義母様にお褒め頂くその最中、私のサイトは爆死していたのです。ごめんなさい、お義母さん・・・。
その後、私はサイトを復活させるべく、奮闘しました。とにかく奮闘しました。
しかし奮闘むなしく、サイトが息を吹き返すことはありませんでした。
この間、爆死から3カ月が経過し、毎月順調に赤字を垂れ流し続けます。
そして戦略的テレアポ代行へ。
アフィリエイトショックは、限られた業界の中で起こりました。
そのためヤフーニュースになることはありません。
しかし業界内では深刻なショックであり、撤退を余儀なくされた同胞たちがたくさんいました。
今でこそアナログ営業の河合商事のイメージがありますが、当時はバリバリのデジタル営業企業。
だからこそ、非常に強く噛みしめて思いました。
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「WEB1本は危険どころじゃなくて、自殺行為」
「WEBは残酷すぎるほどに平等である」
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これはテレアポをしている私のポジショントークではなく、すべて私の実体験にもとずく知見です。WEBの酸いも甘いも知っているつもりです。
人生をかけてサイトの復活を目論みました。しかしどうやら潮時が近づいてきました。
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「楽しい独立生活だった」
「少し早い余生は、コンビニ店員として過ごそう」
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そう思いはじめた頃、奇跡的にテレアポ代行のお仕事が舞い込みます。
アフィリエイト仲間からの紹介でした。
奇跡とは、めったに起きないから奇跡であって、このようなチャンスは決して逃してはいけません。
前述、スマホ1台ではじめたテレアポ代行は、お世辞にも他社よりも優れている内容でもなく。
しかし、だからこそ、
「もっとこうすれば、アポが取れたのに!」
というフラストレーションだけはありました。
ですので、このチャンス。私はすべてフラストレーションをぶつけ、「これはやった方がいい」という内容をすべて盛り込みました。
そして生まれたのが、現在のサービス
「戦略的テレアポ代行」
でございます。
「戦略的テレアポ代行」とは、これまでフロー式に流れてしまうテレアポの悪しき慣習を、すべて無に帰したようなサービスです。
通常、ここまでやると、コストが激高くなります。
しかし弊社は幸いにして、このような成り立ちですので、いくらでもコストカットが可能です。
在宅のテレアポスタッフとZOOMでつながり、チームを形成。情報はリアルタイムで共有し、オフィスはありませんが、1つのオフィスを共有したスピード感が武器です。
お陰様で「戦略的テレアポ代行」は多くの企業様にご利用いただいております。
本当にありがたいことに、お客さんから「ありがとう」を言って頂けることが増えました。
弊社のチーム・テレアポも12名体制となり、迎える4年目、1つの事業としてテレアポを確立させる計画でした。
そしてコロナショックからはじまる、4年目の冒険。
2020年2月頃よりざわつきはじめ、3月には深刻な問題になりました。
コロナが与えた影響は弊社にも深刻なものです。
企業が買い控えを進める今、新規営業は難易度が高いです。
また「今の時期に新規営業?」と逆ブランディングを懸念し、テレアポを一時ストップするクライアント様も。
右肩上がりの売上は、はかなくもコロナの前に玉砕しました。
長期的に見ても、コロナは非常にやっかいです。
これまでの常識が通用しません。
ですが、私は落ち着いています。
なぜなら、独立して3年がすぎた今、私は1人ではなくなったからです。
信頼できるメンバーがいます。
弊社を信頼してくれる、クライアント様がいます。
ですので、もし今後、仮に売上ゼロになったとしても、今のメンバーさえいてくれれば、再起は可能と考えてます。(もちろん、大変ですが)
独立して、ゼロを経験している分、メンバーのありがたさは人の100倍、身に染みます。
下請け企業時代、営業メンバーから無視された日々を思い出せば、コロナ環境の今だって、なんてことはありません。
独立して、丸3年。4年目の冒険は、コロナショックからはじまります。
昨年はアフィリエイトショックからはじまりました。
○○ショックはすでに3回目(下請けショック・アフィリエイトショック・コロナショック)です。
なので、ある意味、「またショックか・・・」と慣れっ子的な面もあります。
4年目の冒険、非常に楽しみです。
3年目までの冒険は、ほぼ1人で冒険してました。それはそれで楽しかったです。
しかしワンマン冒険も、ここで終わりを告げるでしょう。
一度船に乗って頂いたメンバーを、私の一存で降りて頂くことなんてできませんからね。
チーム・河合商事となった、独立4年目。
これからも一歩ずつ、少しずつ、社会の役に立てるよう精進していくつもりです。
最後に余談ですが、河合商事の社名の由来は
「三菱商事のような、世界的な取引をする企業になる」
という、野望だけは大きいことにちなみます。
弊社は商事です。
企業の、社会の役に立てることなら、何だってします。
今はそれが「新規リード獲得」。
これからも弊社は新規リード獲得に向けて、全員一丸となって全力を尽くしていきます。
今後起きる4年目以降の物語は、これまでと違ったモノになるはず。
そう感じたので、長々と書かせて頂きました。
独立して3年までの物語は、これで終わり。今、この瞬間から前を向いて進んでいきます。
思い残すことはありません。
どうぞ!
よろしく!
お願いいたいます!!
パッと見はド真面目そうだけど
どこか愛嬌があって
自身の弱さを隠さず話す
文章の中には芯の強さが見え
ユーモアと愚直を兼ね備えたピアノ男
僕にとって かわいサンはそんな方。
寝ぼけ眼で読ませて頂きましたよ壮絶な人生。
下請けを選ばれる気概、奥様を社長にされる(許可なし )気の迷い、どれも私が持っていない選択肢。
まるで小説を読んでいるかの用な錯覚に陥りましたw
様々な問題はすべて貴方の糧となり、さらにデカい漢になるのではないでしょうか。
今後のご活躍期待しています、河合商事に幸あれ!!
遠山さん、泣けるコメントありがとうございます・・・!
非常にお褒め頂き光栄と思いつつ、気の迷いを入れて頂くあたりに愛を感じますw
これからの荒波も越えていけるよう、頑張る所存です。
少しずつ世帯も増えてきましたので、ここまでの3年は一度終了。
新しい3年に向かって頑張ります!