こんにちは。営業代行の河合です。
最近、仕事の外注化を進めています。
すると何が起きるかといいますと、想定外のミラクル(ミス)です。
自分では絶対にやらないであろうミスがですね、現実に起きるのです。
これが実にスリリング。いえ、スリリングを通り越して、1年分の冷や汗をかくときもあります。
「人に依頼してミスが増えるぐらいなら、1人でやった方が気楽だ」
たしかにそうかもしれません。人に依頼して血管ぶちぶち切れるぐらいなら、1人でやった方が気楽ですし、身軽ですし、背負うものも少ないですし。
ですが私はそれでも人に依頼して、任せる方がいいかな、と思ってる今日この頃です。
Contents
人のミスを減らすには、徹底的に管理するべき?
人を雇う・外注化するデメリット、いろいろありますよね。
その1つが「想定外のミスが起きる」ではないでしょうか。
[box class=”blue_box” title=”ありがちな想定外のミス”]
・ありえないミス
・とんでもないミス
・やらかしちまったミス
[/box]
自分1人で作業しているなら、管理するのは自分の仕事だけ。
ですが多くの人が関わる仕事になるほど、より多くの人の作業の管理が必要です。
人に仕事を依頼するとき、
[box class=”blue_box”]
「○○してくれるだろう」
「○○ぐらい分かってくれるだろう」
[/box]
は、禁句ですよ。理由ですか?それは簡単な話でございます。
[box class=”blue_box”]
「相手は絶対に分かってないから!!」
「以心伝心とかありえないから!!」
[/box]
これは声を大にして言いたい。何度も口を酸っぱくして言ってやりたい。
なので人にミスをさせないためには、細かい管理がどうしても必要になります。
・・・なんですが。
私1つ思うところがありまして。
それはガチガチに管理したところで、
[box class=”blue_box”]
・結局、人は最後まで管理できない。
・むしろ管理するより許容した方がいいんじゃない?
[/box]
ということですね。
人は管理したがるけど、結局、誰も管理できてないよね、って話。
私たちは人からお金を頂いて、仕事をしています。そうやすやすとミスをされてはたまりません。
ですので人を管理して、思い通りに人を動かしたくなります。
私もうら若き頃、バンドのリーダーとかやってまして。鉄の掟のような熱くて激しいルールを、バンドのメンバーに求めたりもしました。
でも組織のため・バンドのためにとメンバーを管理しようとしても、なかなか思うようには人は動かないのですよね。
最終的には「厳しいルールを守ってもらう」ではなく、「メンバーの自主性に任せる(サポートする)」方針になりました。
会社のルールをすべて守ってる人を見たことがない。
会社は社員を管理します。
厳しい会社(上司)ですと、重箱の隅をつつくようなところまでルールを設けて管理したがりますよね。
会社(上司)が会社を管理したがる気持ちは分かります。分かりますよ。
でも率直に思うのですが、会社のルールをすべて守ってる人っていないですよね。
[box class=”blue_box”]
・就業中のスマホ禁止 → こそこそスマホ触る。
・外回り中のサボり禁止 → コンビニに集まる多くの営業マンたち。
・副業禁止 → 言わないだけで、やってる人はやっている。
[/box]
結局、人は管理したがりますが、実際問題としてまったく管理できてないという事実。
それは管理方法が悪いのではなく、「そもそも人は管理なんてできない」と考えた方がいいでしょう。
なぜなら人は人だから。それ以上の答えはございません。
想定外には、「いい意味での想定外」だってある。
人を管理したがるのは、自分の想定外のことをして欲しくないから。決められたことを、決められたとおりにして欲しいから。
それはそれで大切です。
でも想定外の中には、「いい意味で想定外だった」こともありますよね。いい意味で期待を裏切られる、といいますか。
たとえば決められたマニュアルの通りにやって欲しいのに、マニュアルを無視して仕事をした。
それなのにできあがった仕事は、クオリティが高かった・・・とか。
管理する側はミスして欲しくないあまり、ルールを厳しくしがちです。でも本当は「いい意味での想定外」だって多くあるわけでして。
自分より優秀な人なんてたくさんいますし、誰かがミスしてくれたおかげで問題の本質に気がつくこともあります。
それなのに管理管理と口を酸っぱくして言うだけになってしまうと、「厳しく管理しているけど、誰も守ってない」状況になってしまうのではないでしょうか。
素晴らしい経営者ほど、管理の自由度が高い。
思えば素晴らしい経営者ほど管理の自由度が高い・・・ような気がして止みません。
まったく管理しないと、組織は空中分解します。ですので、ギリギリのところで手綱を握る必要があります。そのさじ加減が絶妙にうまい。
仕事をする側としては「自由に仕事をやっている」と思っているけど、肝心なところは経営者が握っている。
優秀な会社(上司)のもとには、不思議と優秀な人材が集まってたな・・・と思い出しました。
どれだけ多くの人を受け入れられるか?
ですが素晴らしい経営者のマネをするのは、とても大変です。
何が大変かと言うと、「我慢するのが大変」です。
自由度高く仕事をしてもらうと、それだけオリジナリティあふれる仕事が集まります。「いい意味での想定外」に胸が躍ることもありますが、やって欲しくないミスに頭の血管がぶちぶちする方が多いです。
それでも管理管理と口酸っぱくならず、ドンと構えているのは並大抵の胆力じゃないなと。あの偉大な社長様は、やっぱり偉大だったのだなとひしひしと感じます。
「人をいかに管理するか?」
なんて言葉をたまに聞きますけど、いや、本質は違うのではないでしょうか?
「いかに多くの人を受け入れられるか?」
これだと思いますし、受け入れる方が管理するよりよほど大変です。
むしろ受け入れられないから、管理でごまかす・・・という表現が的確なのではと思います。
もちろん、決められたことをただその通りにやればいい仕事もある。
誤解がないよう補足させて頂きますと、世の中には「決められたことを、ただその通りにやればいい仕事」もあります。
ですが機械化が進み、次はAI化が進む時代です。
これから令和の時代、どんな仕事を選ぶべきか考えると、取るべき選択肢はおのずと決まってくるかなと思います。
それからこれは仕事に限った話であり、社会一般のルールを守るとは別の話です。社会のルールを守るのは、当たり前、でございます。
「いかに管理するか?」ではなく、管理の器を広げること。
人に仕事を依頼するとき、一番大切なのはその人を受け入れてあげることだと思ってます。
人に仕事を依頼する以上、自分が想定している遥か上空を飛び越えることなんて、いくらでもあります。
でも想定外のトラブルが起きた時に、自分がしっかりフォローに回れるか?その人を受け入れられるか?が、独立後の分かれ道になるのでしょう。
いかに管理するか?
それはもちろん大切です。でもそこがゴールではありません。
目指すべきは、管理の器を広げること。管理の手綱の自由度を高くすること。
まったく管理しない、放任ではない。しっかり管理しているけど、自由度の高い。肝心な手綱は離さない。
ここなんじゃないかと思う独立3年目でございました。明日もがんばるぞ